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10年ぶりにカンボジアを訪問

念願だったカンボジアの支援させていただいていた学校に行けることができました。

今回は大学生の息子と私の2人で行ってきました!

日本から鉛筆と消しゴムそれにお菓子を買って

リュックサックの半分はそれで埋まりました^ ^

まだコロナ冷めやらぬ中、気をつけながら成田を旅立ちベトナムで飛行機を乗り換えカンボジアに!

私が英語できないので息子に入国ビザを書いてもらったり手続きを代行してもらい入国審査を経て入れてカンボジアに入国^ ^

朝出発して夕方到着してそのまま宿へ

空港からの交通手段はトゥクトゥクと交渉して

10ドルで30分ほどの予約したホテルまでいって貰いました

他のアジアだと日本人はお金持ちなので足元を見られてボッタクられたりしますが

カンボジアと言う国は不思議な国で他のアジアと違い観光客の足元を見たりごまかしたりしないんです。ですのでお金の交渉も素直に受け取ります

他のアジアだといきなり2倍位の値段を言われたりするのは普通です

初日のホテルだけは予約していましたが2日目以降は何の予約もしていませんフリープランですカンボジアで教育ボランティア活動をされている方と翌日合流しまして支援先の学校に連れて行っていただきました!

いきなり日本人が鉛筆やノートを持っていっても、いくらカンボジアでも学校に外人が入る事は許されません。カンボジア教育庁から認定を受けているNPO法人チアフルスマイルの代表松田さん【小山畳店のホームページの製作者さん】あってこその学校訪問でした。

カンボジアの歴史をご存知の方は知っているでしょうが 40年前まで政府による国民の虐殺が起きていたんです大人や知識人を中心に国民の4人に1人が殺されてしまいました。

それにより現在もカンボジア平均年齢は20代で

殺されてしまったので高齢者はほとんどいません。

政府の虐殺によりどこの村でも子供だけが生き残り[親子共々殺される場合も多かったそうです]

1980年代から新たなスタートを切ったカンボジアには虐殺孤児ばかりがたくさんいて、大人がいないので教育も親子の心の教育もなく

他のアジアの中でも同じ貧乏でも教育と言う面で著しく劣ってしまいました。

10年前観光でカンボジアに行った時に私は現地の人間を見てショックを覚えました

私自身先進国日本の中では教育を受けておらず貧しい家庭育ちで中卒ですぐ働きました

詳しく言うと中学時代から病気の親に変わりに家業を手伝ったり、中学卒業後家行が暇な時はゴミの会社に住み込みで働いたり短期で運送屋に行ったり…そんな育ちでしたので、学歴や家柄で当たり前ですが見える差別や見えない差別も受けまして深刻な劣等感を抱え成長して

それでも真面目に働き家庭を持てお金を貯めて海外に観光に行ける身分になり

そこでたまたまカンボジアのアンコールワットを見に行き、そのまま田舎の方を見学したら

人々が貧しく子供が学校いかず働くことが当たり前の農村地区で…幼少期の私の辛い思いが吹き飛ぶような!レベルの違う地域国家全体の

貧しいネグレスト国家のようでした…

私の長年心にたまっていた中卒や恥ずかしい家柄だったコンプレックスがすごくチンケに思えて目が覚める思いでした

海外に行くと全く知らない世界を見てるので目が覚めるというか良い意味で視野が広がるんだなぁと体験しました

話は長くなりましたがそんないきさつがありまして個人的に気持ちばかりのカンボジアの学校支援をしておりました。これは私自身の心の浄化のためにやっているような行動です。

もちろん支援先の子供たちに喜んでいただければ二重の喜びです\(^^)/

今回10年ぶりにカンボジアに訪れることができまして直接小学校訪問もできて自分の夢がまた1つ叶いました。

私と一緒に2人で写っている男性は校長先生です。日本の校長先生とはちょっと違い学校の掃除や修繕とかもなさっていました!

後半の写真は虐殺された方々の写真の1部です

首に札をかけられたら生きては帰れないそうです銃弾がもったいないので頭をツルハシで叩かれたそうです、たくさんある頭蓋骨は皆頭に穴が開いてました。政府がおかしくなり自国民を虐殺するなんて人間と言うのは恐ろしいものだなと思いました。

我々日本人も自分の国をしっかり考え選挙に行くべきだなと改めて思いました。

いろいろ勉強になったカンボジア渡航でした

◯三日間ほどバイクを借りてカンボジアのあちこちをバイクで回りました。バイクでなければいけないような農村地区の村まで行けていろいろなものを見れて勉強になりました

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