兼ねてから1人で海外に行けないものか考えていました。
私は中学もろくに通ってない。中卒で、英語の読み書きや英語リスニングも全くわからない。出入国なんか超プレッシャー。でも、人生は1度きり明日は来るかわからない。来年、いつかそのうち!なんて私には来ないかもしれない!
構想2年…思い切って行ってきました^ ^
仕事が1番暇な年明け1月に決行✈️
ラオスに直行便は無いので、ベトナムで1泊して乗り換えて✈️行きます!
ラオスはASEAN最貧国で日本の本州ほどの面積に埼玉県と同じ人口が住んでいます。おおよそ50の民族が暮らしていまして、それぞれが散らばっている山岳民族なので、発展が遅れています。
それでも私が言ったルアンパバーンと言う場所はラオスの古都でその昔、ラオ王朝時代、首都だった場所です
一時期フランス領だったため、その時代の建物も残っており、フランス領の名残もあって、カフェやフランスパンがとてもおいしいです。
そして、ラオスは世界一爆撃を受けた国で、ベトナム戦争の煽りを受けてしまい。山岳部にはまだたくさんの地雷が埋まっており、それも経済発展の足かせになっています。
私は少し前から関係していた現地の子供食堂を手伝うことができました
ルアンパパン唯一のオーナーの奥様が、日本人でその奥さんが自腹を切って、現地の貧しい子供たちに食事を定期的に提供しています。
私が行った時は、現地の仕事で来ている。海外青年協力隊のお兄さんとかが手伝いに来てくれ。持ち寄りで30人分の食事をつくりました。
そして、ストリートで物売りや物乞いをしている子供を迎えに行きます
親がいる子供もいれば、両親が出稼ぎに行って、そのまま帰ってこなくなった子供だけもいます
私が見た中でひどかったのは、5歳と3歳の兄弟で父親は死んで、母親は出稼ぎに行ってそのまま帰ってこない【売春宿とかで、監禁されて帰ってこなくなるパターンがある】
その兄弟は、栄養失調で体がすごく小さくて見ていられませんでした。親がいない子供だけ兄弟で掘っ立て小屋で暮らしている子供も何人かいます。
物売りをしている子供は、後で弁当届けて、ご飯食べに来れる子だけ私の泊まっている宿に来て食事を食べさせてあげました。
子供たちが全員髪の毛が薄く、茶色なのは栄養失調の証拠です。宿の奥さんと野菜と肉をたくさんの栄養を考えて肉野菜ご飯です。
そして、物売りで食べに来れなかった子たちに弁当届けます。
親がいなくたって食べて行かなくてはいけないので、子供たちも必死です。
宿オーナーの奥さんは、日本で教育者をしていただけありまして、子供たちに物乞いは、子供の家はもらえるけど、大人になったらお金はもらえなくて悪いことをやるようになるから、何でもいいからものを売ってお金にして食べていくことを頑張るように言います。
でも先ほど話した5歳と3歳の兄弟を夜見に行った時、2人とも朝から何も食べてなくて、お腹ペコペコで
日本だったらもう緊急で保護施設に行けるのに、海外は厳しいです。政府は守ってくれません。
この少女は両親がいなくて、川の向こうの掘っ立て小屋で妹3人を面倒見ています
彼女は小学生に見えますが、栄養失調で体が小さく足が悪くて歩くのもビッこを引いて不自由に歩き…18歳です。
毎日行って売り物を購入し宿の奥さんにもらって頂きましたが、翌日は疲れ果てて寝ていました
発展途上国の貧富の差は激しく、最下級で生きる子供たちは生きるので、精一杯です。日本の貧しいとは次元が違う世界でした。
子供食堂の食材資金をボランティアで寄付してきました。
宿の奥さんも、何の団体でもなくて
見るに見かねてできる時だけやっている感じでしたので、本当に頭が下がります。
まだまだ自然が残るラオスルワンパパンでバイクを借りて、山岳民族のほうに行ったり、メコン川で釣りをしたり、泳いだり田舎の村で子供たちと遊んだりとても楽しい1週間でした。
メコン川上流で現地子供たちと遊んで、川を泳いで、日本から持参した竿で釣りもしましたが、魚は釣れませんでした
夕暮れのメコン川を眺めていると、人間の一生なんてあっという間だなぁと感じてしまいました
私は、お恥ずかしながら、英語がさっぱりできないので
アルファベットで自分の名前を書けるようになったのも、50歳前にして、小学校の英語ドリルを買ってきてやっと書けるようになりました。
そんな私でも挑戦すればできるんだなと今回自信がつきました。
途中トラブルもあり、帰りのベトナムで1回出国しなければいけなくなったりいろいろありまして、合計10回も出入国やりました
どうせ英語が読めないししゃべれないし理解できないので日本から持っていった有効バッチを見せて日本人でとても有効的だと言う意思表示だけして、後は日本語であっちに行きたいとかご飯食べたいとかはっきりジェスチャーを大きくオーバーアクションすれば結構伝わりました^ ^
自分の趣味である貧困国のボランティアと兼ねてから夢でありました
1人で海外に行ってくること、両方ができてとても良い経験を積むことができました。無理だろうと決め込んでいたことができた事はとても自信になりまして、今後の人生の見え方も変わってくるだろうと思います。
旅行だけではなくて、家族関係とか仕事プライベートでも無理だろうと決め込んでいる事はほとんど
できることなんではないかと思うようになりました!
そのぐらい私は2年前まで1人で海外は絶対無理だと思い込んでいたのですが、どうせ死んでしまうんだから、生きている証に行ってみようとチケットを取り、思い切って旅立ってしまったことで自分を超えた体験ができ!貧困国でいろいろなものを見てきて、とても視野が広がった旅でした
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