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鰻屋さんの門前払い。

私が 5歳ぐらいだったので何年前でしょう
昭和50年頃でしょうか

当時たたみ屋を開店し 血気盛んな30代の父が 母と私と弟を連れて家族四人で
仕事の 550cc の軽トラックで 二人乗りのシートに家族4人乗って
【 違反ですが当時は OK】
浦和の中山道付近の 老舗うなぎ屋さん
有名な小島屋さんに向かいました

当時は敷居が高く大臣が食べに行くと呼ばれる有名な鰻屋さんで

当時の我が家は【 その後10年間も】 平屋のボロ貸家を借りて
中古の 軽トラ

老舗うなぎ屋さんに食べに行く身分ではありませんでしたが

父は 中学卒業してすぐ親が残した
借金の形に6年間売り飛ばされた経験から【 長男の叔父は二百万の借金を 払い 次男の私の父は 問屋さんの借金の型に6年間住み込み返済働き】
故郷に錦を飾るような気持ちで
その日の売り上げを握りしめ 意気揚々と老舗鰻屋小島屋に向かいました

なんか車の中でも父は今日はうまいもん食わせるぞーと 興奮していたような 覚えがあります

今でも 当時のことはなぜか覚えていますが
立派な駐車場に車を止めて
玉砂利が敷き詰めてある石の上を母に手を引かれ
お店に向かって歩き
入り口で父親がお店の人と何やら話していて
そこで母と弟と3人で待っていたら
父とお店の人が何やら言い合いになっていました

身なりが悪い私たち家族の入店拒否でした
父親はまともな洋服なんか持っていないので 作業服に足袋に雪駄履き
昭和の職人丸出しで💦
お金は持っていても常識は持ち合わせていませんでした

父は食い下がっていて
お店の人に
何でダメなんだよー
じゃあ俺はもういいから
女房と子供だけでも食わせてくれよ!いいだろ?
母、 あんたやめとくれよいいじゃないもう帰ろうよ👩

父、何でダメなんだよ金ならあるんだぜ

押し問答は続きましたが私は恥ずかしくってしょうがありませんでした💦

門前払いで、家族全員で玉砂利の上を歩いて車に戻ってきて
家族四人でラーメン屋さんに寄って帰ってきたのを覚えています

私の父は バカでしたが 子供にもよその女性にも優しかったです
北の国からの五郎と 寅さんを足したような感じでした

今私も 常識を兼ね備えた 妻をもらい
いつか当家の屈辱の歴史(^^)
老舗小島屋さんにリベンジしたいと思います\(^o^)/
写真は昭和45年 父親が埼大通りに貸家を借りて 畳屋を始めた時です

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