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私の青春時代パート③

誰も読みたくないような私個人の日記のような投稿で申し訳ございません!

このブログが私自身の遺言書にもなると言う思いも込めての自分の人生を振り返ってどうだったかを少し書かせていただいてます

幼少期の頃から何か普通の家とは違う家庭だなと言う感覚はありながら不良にならず成長してきてなぜか私はこう考えたのでありました

15歳の時自分の人生は終わった。とはっきり強く思いました

字もろくに書けない中卒でほとんど廃業みたいなたたみ家の息子で父は病気で入退院を繰り返し…仕事がないから働きに出ろと出されては

父が入院すると暇な畳屋の仕事をやるために出先から戻る…でも基本的に父の浪費がすごいので本当にお金がなくて材料屋さんにも払えず親戚にも1年中お金を借りているような状態…

10代の私でもお先真っ暗だなとはっきり思いました結婚は絶対できないと思いました!

でも同時に人生終わったなら死ぬ気でやってやると言う気持ちも湧いてきました

どうせ自分自身には価値は無いのだから

どうなったっていい!人生一発勝負だと言う前向きな自分も同時に湧いてきました!

私自身の読み書きや学歴だけではなくて両親からして社会的な常識も身に付いていないので

人生を好転させるには私が欠けているものを持っている女性をパートナーにするしかない!と強く思いました^ ^

私の逆と言いますと知識と教養がありで固い家庭で育ちの真面目な女性になります。

何故か20歳前のときには真面目な家庭の女性を妻にもらうと言うはっきりした目標ができました

そして20歳の時にお付き合いした大卒の5歳年上の女性に結婚を申し出ましたが

私が中卒と言うこともあり結婚はちょっとできないと言われ✖︎…

23歳の時にスポーツ関係で知り合ったのが今の妻、超真面目でこれまた超真面目な固いご両親でキチッとした御商売を経営されているご家庭育ちの娘でした[履き物問屋さん]

私は早く結婚すると言う明確な目標があったので知り合って数ヶ月で本人に結婚の申し込みをし、妻は世間知らずの怖いもの知らずのお嬢様なので私のことを怖がらず!私が中卒でも私の親が病気で働けなくても

私の弟がアルコール中毒でも

私の親が借金ばっかりで貯金もなく国民年金も入ってなくても

お金も信用も学歴も何の保証もない私についてきてくれると言って結婚を了承してくれました。

私は気が早いのですぐに妻の両親に挨拶にいかねばとスーツを買ってネクタイは自分で閉められないから畳店お隣のご主人にネクタイを締めてもらって[ひではるくんがんばってくるんだよと激励を受けて^ ^]

常識のない私でもいろいろ人に聞き、こういう時は値打ちのあるものを手土産として持っていく物だ!と言うことを知り文明堂で桐の箱に入ったとびきり高いカステラを買って意気揚々と妻の実家東京まで挨拶に行きました

結果は撃沈でした…

固い考えの妻の実家でなくても普通のどんなご家庭でも苦労して育てた娘を私のように中学しか出ていなくて病気の親に貧乏な家に嫁がせることを、はいはい!と了承してくれる親なんていない!と、言うことはわかってはいましたが私は自分が真面目なので少なくとも酒やギャンブルとか浮気とかそういう不真面目なことで妻を困らせることだけはやらない自信がありましたが…

ただやる気はあれど何の保証もない不安要素山盛りの23歳では世間は認めてくれませんでした

結局妻の親には2年間反対を受けましてその間も何度かご挨拶に行きましたが…

反対を受けいつしか2年以上の時が経ち私も25歳になり妻は年上なので30歳…少しでま早く子供を持って家庭作りをスタートさせたいと言う気持ちもあったので

私は妻にもう妻の両親は許してくれないから

娘の君が親と縁を切って家を出るか?それとも私と別れて別の道を進むか決めてくれと言いました[妻の両親はこの時すでにお見合いの話を娘に持って来ていた]

私自身若さとやる気だけが値打ちなのに少しでも若いうちに家族作りをスタートさせたいと言う焦る気持ちがありました

結局妻が家を出る強行手段に出ました

そしたら妻の両親がそんな世間体の悪いことするならもう仕方ない!好きにしろ!と言う話になり

針の筵でしたが改めて挨拶に行き結婚の了承を頂き、妻の大学の先輩のお寺で逃げるように結婚式を挙げてきました^ ^

ここに書いたのは結婚だけですが

私が幼少期からいろいろな場面で差別を受けた事はすごくたくさんあります

中学の時何か同級生の親にうちの息子と付き合わないでと直接言われました[受験期だったから余計]

直接言われないで同級生を通して親がこやまと付き合うなと言っていると言うのはその他2人ありました、これは中学生には酷な出来事でした!自分はそんな嫌われる存在なのか?と…とても傷つきました

私は決して不良ではなかったのですがイメージ的にいますとリリー・フランキー主演の映画貧乏家族のような優しい親だけどだめな家

世間様から見ればあまり関わり合いたくない家庭が我がこやま家でした

でも私の両親は確かに心も少し病んでいてアル中でお金の計算ができなくてめちゃくちゃでしたが子供には優しかったです

それだけが救いでした^ ^

書き出すと何日もかかるほど世間様がびっくりするような言われない差別を受けました

でもそれはあながち間違ってはいません統計的に低学歴で貧困の家庭育ちだとやっぱり将来的に、収入で生活も安定しない人生を送る統計がきちんと出ています

もちろんそれは統計です高学歴で高収入な家庭育ちの子供が将来高い確率でまた高学歴な高収入な家庭で暮らしていくのもあくまでも統計です!

なので私は掃き溜めのようなところから這い上がってやろうと言うような気持ちで頑張ってきました。

大卒の妻をもらったのもその基盤を作るためでした。50歳になった今でも何かのたびに私は妻に聞きますこういう時はどういう返事をしたらいいか?こういう時はなんと人に伝えたら良いか?そんなことを25年もやっていますと妻の真面目が私に移り私自身もともとはめちゃくちゃだったのになんだかすごい真面目な人間になってしまいました^ ^計算通りです

後は私の大きなはっきりした生き方があります

それは大きな声で言えますが

何か私のように人生のスタートで出遅れてしまった人が人並みに正々堂々と生きて行くには

立派に生きている人の真似をする←です。

これは私が15歳から心得ていることです

例えば宇宙人が地球に来てどうやってこの星で生きていくか?考えたときに地球人のその土地の人の真似をするが1番です

私は家庭円満で健康的に生きている模範となる大人を見つけるとその人たちの特徴をよく見て真似しました

朝は早く起き3食きちんと食べて毎日お風呂に入り身体を清潔に保ち言葉遣いは丁寧に姿勢も良く靴もきれい髪型もきちっとし約束は守り支払いも必ずやる

人がいけないと言う事はやらない!家族が困るような事はやらない!

真面目な人からすれば当たり前の事ばかり書いていますが

ネグレスト家庭育ちだと。これらが身についておりません

要は日本にいながら異端な家庭育ちの私は宇宙人みたいなものでこの日本で家庭を持って働いて世間様から信用をいただきお金をいただくには

真面目な人の特徴を身に付けることでした

これは私はすごく意識しますが多分普通に学校出てる人は特に意識してないと思います

ダメ過ぎると意識できます。

話は長くなりましたが世間に非難されるような私の両親ですがほんとバカでしたが優しい両親でした

その優しい面もあった両親が100%ダメ人間で間違っていると世間様に思われるのも悔しいので

私が社会的に成功と言えないまでもまぁ普通に真面目にきちんと世間に恥じぬ生き方をして

行けば我が小山家の暗黒の歴史も悪いばかりではなかったと証明されるのではないかなと

20年も前に他界した両親も天国で少しは喜んでくれるかなと思いもあり頑張るのであります

今までは幼少期青年期と世間様に蔑まされたりバカにされたりの経験が多すぎ私は心が傷つき復讐的な怒りのエネルギーで生きてきて、その思いを仕事にぶつけて猛烈に働いてきましたが

やはり中年になりそういう復讐的な心で生きていたら燃え尽きてしまうことにはっと気づき

自分自身をいたわり妻や息子や犬や猫と残りの時間を

穏やかに静かにそして心が満ち溢れるような残りの人生を過ごしたいなと思うようになりました

人に見せる人生ではなく自分自身が満足するようなこの先を送っていきたいなと思う今日この頃になりました^_^

今までの、人生50年外に向けて生きてきましたがこれからは自分自身の内面に向けて内生を充実させていこうと思います

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