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私の苦い青春時代パート②

^ ^昔の貧乏話ばっかりしてますが
私の住み込みゴミ屋時代。パート2でございます。


社員は10人程度で現役暴走族の人から日曜日は右翼の車でアルバイトしてる謎のおじさん…
パイレーツオブカリビアンの船乗りのようなメンバーでした☠️
私はなぜか親の意向もあり社長の自宅に住み込み
社員が集合する朝4時には全員のコーヒーを入れて[私が1番若かった]皆さんと一緒に出発です
それぞれゴミトラックに乗り込み真っ暗の東京へ
手初めに赤羽王子の契約している飲み屋さんのゴミを積みながら病院2軒ほど回収して新橋前ロータリーの地下駐車場のゴミも回収して[別部隊は朝一の豊島園] 6時にはトラック満タンにして建設省入り
まだ暗い中建設省の地下2階ダスターシュートの出口の1番で詰まってしまう出口を30分後ほど掻き出し
つまりをとったら朝ごはん!
薄暗い地下2階の廊下で買ってきたお弁当を食べて
早々に済ませてからゴミの選別
いい紙を紙業会社に持っていきお金にします
生ごみや汚物割れたガラスお茶ガラとか紙に混ぜてはいけないものを取り除く作業を6時間程度
そうなんです地下2階のゴミ屋は
官僚が捨てたゴミ全てに目を通して
家政婦は見た!ゴミ屋バージョンです^ ^
1年もやってるとびっくりするもの見ました!

海外のタバコからお菓子、汚れた下着にエロ本から現金も!一万円札が数枚ゴミに混じっていた事もありました!本当にゴミと言う物は人間の不思議な生態がわかります…


別部隊は朝一豊島園に行き前日のゴミを回収です
豊島園は夏場なんか信じられないでかいウジ虫が湧いていたので私は苦手でした。
でも夕方の豊島園は好きでした
閉園時間になりまだプールの水着のお姉さんたちが帰り自宅をしている中ゴミトラックで時速5キロ以下を守りプールサイドに入って行きます

流れるプールに網を張るんです
あれよあれよととんでもないびっくりするゴミが引っかかって行きます
なぜか女性の水着やカツラ聆が引っかかることもありました^ ^
まともなゴミもめちゃくちゃたくさんあり
人間というのは人んちのプールだとゴミ箱みたいに物捨てるんだなと学習しました

それで1日1度はまだ建設中のフジテレビの前を通り夢の島にゴミを捨てに行きました
当時は東京23区のゴミが捨てられていたのですごい量でした
1日で学校の校庭位な山盛りが出来上がり
あちこちで自然発火した煙が上がりまるで映画マッドマックスの荒れた荒野みたいな世界でした
夢の島ではウジ&ハエが大繁殖し
ヘリコプターから殺虫剤散布しても[その下には蠅もいますが私も(涙)居ます〜]
生き残った強靭なハエがどんどん進化して殺虫剤がもうきかなくなったと言ってました
そのハエがディズニーランドまで遠征するようになりディズニーランドから苦情が来たと職員さんが、言ってました。

でも私は夢の島でトラックを全部開けて空にして帰る前に
わずかな休憩時間をいただき
ゴミの中から宝物探しをよくやりました^ ^
東南アジアのゴミの山でビニールを拾う子供みたいなあんな感じで
使ってない新品のいろんなものが捨てられていました
写真は当時の体験したゴミに似ています
でもお伝えできないのは臭いです
どこに行っても匂いが半端ではなかったです
なので僕らは自分が臭いのでなるべくコンビニは入らなかったです
自分では分かりませんが服や髪の毛に悪臭が染み付いてしまって
外で売っているお弁当屋さんの前に並んで弁当買う位でした。

たかがゴミ屋されどゴミ屋ゴミの中に極意あれ!…

若い頃は最低なところで働いていたな〜

人には言えない恥ずかしいし、何も意味が無かった体験だったと思っていましたが

子供も成長し私自身が人生の終盤を迎え今振り返りますとゴミ屋は無駄ではなかった!私の人生にプラスになる経験だったなと思うようになりました!

大卒の妻と結婚し妻と2人3脚で固くやってきて人並みの生活ができるようになり

中卒の私が子供を大学出すようになってしまい^ ^

妻に言わせますと、そんな事は当たり前よ!と言われてしまいますぎ私の育った家庭では当たり前じゃなかったので、不思議満足感です。

そしてとても今人生を満足するようになり

10代後半の自分なりの暗黒の時代も自分の人生にプラスになっていたなと強く感じます

幸せを強く感じるには不幸せや不便だった思いも経験しないといけないと思います

いけなくは無いですが^ ^やっぱりうまくいかなかった時代があってこそその時代を逃げずかみしめてしっかり歩いてこそその先の

妻が言う当たり前の大人?が私にはとても幸せに感じます…なんだか嘘みたいです

15歳卒業したばかりでアルコール中毒の父親と暇な家業の畳屋を手伝って仕事がないので働きに出ろと言われて

人生終わったと思いました強く思いました

15歳の私でも自分の事はよくわかっていました結婚なんかできないし自分の将来はもうないな真っ暗だと15歳の時強く思ったんです

そういうことがその後の人生の礎になったんだなと今になりしみじみわかるようになりました

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