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昔の節分の思い出

世間は豆まきですね豆まきと言うと私は毎年思い出すのが豆まきの日に車にはねられた父親です。昭和50年代の我が家は貧乏でしたが
父は 1年360日間は必ず 飲みに行ってました
父は居酒屋から最後に行きつけのスナックで 飲んでママさんにご飯を作ってもらって帰ってくる毎日でした。 昭和のスナック 飲み屋さんというのは クリスマスパーティーだけではありません
節分パーティーから お盆パーティー年越しパーティーと
とにかくなにかにつけてパーティーやるからとお客さんを集めるのがスナックですなので父親と年越しを過ごしたことは一度もありません
小学校の時 年越しを家族で迎えたいからと話したら
母が大晦日の夜じゃあ2人で迎え行ってきなと
テレビの初めてのおつかいじゃないですが小学校の私は 小学校上がったばかりの弟と手をつなぎ 地元のスナックまで 大晦日の夜 父を迎えに行きました
最初は10時ぐらいでした
開けると中は賑やかで 気の利いたママさんが小山さ〜ん子供さん来たよーと呼んでくれたのですが
父は後で帰るから帰っとけというだけ
店の中は超盛り上がり
ママさんの他にも女性の接待する人が3人ぐらいいるスナックで私は弟は、とぼとぼ帰りその夜 もう一度12時ちょっと前に弟と二人でスナックに歩いて迎えに行ったのです昭和50年代ですが 小学生が20分30分歩いて夜中お迎え行くのはドキドキで今も覚えています確か年越し間際でしたが それでもまた同じで父は、いいからお前ら帰ってろ‼結局父は帰ってきませんでした一年を通して12時前に帰ってくることはほぼないので 大晦日も ただいつもどおり帰ってこないだけですそうですそれで節分の日なんですが父が違う飲み屋さんである節分パーティーで大盛り上がりし
好きな女性を夜中家まで歩いて送り届けたらしいのです
その帰り道に またスナックに戻る途中
県道を夜中を横断した時 早朝の運送屋さんに車で跳ね飛ばされ
膝の開放性骨折 でした【 骨が飛び出していました】救急車から電話があり 病院に来てくれとの事
母はこの程度の事件や喧嘩で警察病院に何度も呼び出されていたのでもう私は行かないといい 布団で寝たまままだ10代の 私が緊急手術をしている大宮日赤病院に 行きました
相手の若い運転手は 交通刑務所に入ってしまいました【 きっと父が鬼だったのでしょう】
そんな節分の思い出です父はこの少し前にも酒酔い運転で車でハシゴ酒し
地元の自治会長の家に車で突っ込むという大失態をしていたので
母も感情がなくなっていましたその自治会長の家というのも立派な家で
十字路の曲がり角で
父親スナックからスナックに行く途中車でそのまま曲がらずまっすぐ自治会長の家に突っ込み自治会長のブロック塀は大破し中庭の木も折れたぐらいでした
父が乗っていたダットサントラックも 衝撃で 廃車になり
父は首を骨折して3ヶ月そのまま入院ただでさえ貧乏なのに
お店では賭けマージャンを開催するし
まあ評判どこまで落とせばいいんだろうというぐらい 最低でしたね(^_^;)そんなバカな父親でしたが
子供と動物には優しかったです
万引き家族のリリーフランキーさんのような父親で
優しいんですが 子供の将来を考えてない父親でした
そんな父は 多臓器障害になり50代で亡くなりましたが
今生きていたら80歳か‥‥
もうお世話は大変だから蘇って欲しくはないけど あの世と電話で、おしゃべりだけだったらしてみたいな〜(^^)

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